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メゾン・アトリエ・フジタ

xai2006-04-29

『−−−略−−−藤田は二十九歳になろうとしていた。マロニエの若葉が眼にまばゆいパリの五月、島崎藤村はフジタのアトリエを訪ねている。そのときのことは紀行文「エトランゼエ」に書き残されており、フジタの周囲に流れていた時間や空間の気分を見事に伝えている。』−出展:藤田嗣治 異邦人の生涯 第一章 修行時代、「キキ」より−

藤村とも交流があったんだ。藤田が「蜂の巣」と名づけられた十二角形の建物に住むシャガール、モディリアニとの交友があった頃かなぁ。

第1章の修行時代のこの「キキ」は、モンパルナスの女王として名を馳せる。共に激貧だった頃があったんだけど、『裸で横たわったキキ』で、はじめて厚い札束を手にしたという。

14歳の頃からキキは、宿と食事を提供してくれる男を毎夜探していたような女の子。『裸で横たわったキキ』から、彼女も大金を手にすることができた。花で被われた帽子をかぶり、美しく着飾ることができたわけだけど、彼女の人生は着飾ることができなかったんだなぁ。知性も品性も14歳のままだったのか。死ぬまで「淫売」という印象を拭えなかったんだ。

そんなキキが52歳でなくなったとき、新聞は「モンパルナスからキキが消えた」と報道し、パリ中のカフェが花を贈る。高名な画家のモデルだったキキだったが、墓地まで柩とともに歩いたのは、ドマンゲとこの藤田だけだったらしいよ。

で、藤田は現在「メゾン・アトリエ・フジタ」と呼ばれる農家を、1960年に買い取ったんだ。写真はサロン。自分で削って作った木製のマントかけやらカーテンやら、彼は家も手をかけてあげたんだ。

なんだか、そんな生活を続けてきた画家が描いた絵画は、やっぱりいいなぁ〜って思うんだよ。